翻譯了幾段頗有感觸地段落
一
また自分は、肉親たちに何か言われて、口応えした事はいちども有りませんでした。そのわずかなおこごとは、自分には霹靂の如く強く感ぜられ、狂うみたいになり、口応えどころか、そのおこごとこそ、謂わば万世一系の人間の「真理」とかいうものに違いない、自分にはその真理を行う力が無いのだから、もはや人間と一緒に住めないのではないかしら、と思い込んでしまうのでした。だから自分には、言い争いも自己弁解も出来ないのでした。人から悪く言われると、いかにも、もっとも、自分がひどい思い違いをしているような気がして来て、いつもその攻撃を黙して受け、内心、狂うほどの恐怖を感じました。
而且,不管至親說了什麼,我一次都沒回嘴過。僅僅是一點兒斥責,對我而言都彷若霹靂般震撼,接著整個人幾欲發瘋般,別說是回嘴了,我甚至會自顧自地認為,這項斥責正肯定是人類所謂亙古不變的「真理」,而既然我並未擁有實踐這項真理的能力,這或許說明我已經無法和人類同住了。因此,我無法同人爭執,也無法為自己辯解。被其他人說壞話時,總覺得自己確確實實犯下很嚴重的誤解,而一直默默承受攻擊,內心,則感受到一股近乎發瘋似的畏懼。
二
尊敬されるという観念もまた、甚だ自分を、おびえさせました。ほとんど完全に近く人をだまして、そうして、或るひとりの全知全能の者に見破られ、木っ葉みじんにやられて、死ぬる以上の赤恥をかかせられる、それが、「尊敬される」という状態の自分の定義でありました。人間をだまして、「尊敬され」ても、誰かひとりが知っている、そうして、人間たちも、やがて、そのひとりから教えられて、だまされた事に気づいた時、その時の人間たちの怒り、復讐は、いったい、まあ、どんなでしょうか。想像してさえ、身の毛がよだつ心地がするのです。
受尊敬這種概念也令我深深恐懼。近乎完美地欺騙其他人,接著,遭某位全知全能者識破,形象完全粉碎,當眾出醜,比死還要難堪。這正是「受尊敬」這種狀態於我而言的定義。即便欺騙人類而「受尊敬」,也必定有某人清楚這件事,接著,那些人類終究會從某人那兒發現自己遭到欺騙,屆時,那些人類的憤怒、及復仇,究竟,啊,會如何呢?光想像就令我汗毛直豎。